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番外編XⅩⅩⅣ 答525~答543

543
答543 ごろごろ岳は兵庫県芦屋市と西宮市の境に、ガンベ城は西宮市にあります。ごろごろ岳は標高565.3mですが、阪神淡路大震災までは565.6mで、ウィキペディアによると、日本国内で唯一、標高から名前がついた山としています。ガベノ城は山頂付近には城跡はないようで、なぜ「城」が付いたかわからないそうです。画像は奥山貯水池からごろごろ岳 ウィキペディアから
奥山貯水池とゴロゴロ岳.PNG
ゴロゴロ岳画像.JPG
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答542 現在ないのは「四戸」です。この地域は旧南部藩領内で、「戸」とは、小さな集落とか、牧場の木戸とか言われています。なお「四戸」はかつては「三戸」と「五戸」の間にあったそうです。
 毎週木曜日NHKで放映の「日本人のお名前」で、2021年6月3日に「四戸」だけがないことが取り上げられました。江戸時代初期の寛永の大飢饉のとき、他の「戸」は丘陵なので馬の産地のままでしたが、水の便の良かった四戸地区(地図上の南部付近)は、水田等の農業主体と改変されたことから豊かな土地となり、馬の産地の「戸」が消滅したとのことでした。
一戸から九戸地図加筆.png
日本人のお名前四戸がない.PNG
農業主体になり消滅.PNG
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答541 警察署と老人ホームの地図記号は正解を4人のタレントのうち一人だけが正解を答えられていました。また老人ホームの地図記号にはおよそ57,000点の応募があり、この記号は小学6年生の女の子の作品だったそうです。
警棒でばってん.PNG
57,000の応募.PNG
老人ホームの正解.PNG
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答540 埼玉県深谷市にあり、近代日本経済の父と言われている渋沢栄一(1840~1931)の生まれたところです。渋沢が住んでいたころは、「血洗島村」でした。2021年5月1日のNHKの「ブラタモリ」は『”近代日本経済の父”はなぜ深谷に生まれた?』でしたが、その中で、「血洗島」は昔は「地洗島」で、扇状地の中の微高地であることの説明がありました。
ブラタモリ渋沢栄一.PNG
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答539 伊能忠敬銅像と伊能忠敬旧家でした。銅像のところでは、説明版を読んで、伊能忠敬に感謝の言葉を投げかけていました。また旧家のところでは、案内人から300年ほど前に建てられたとの説明もありました。なお地理院地図では、銅像は記念碑の地図記号で表示されており、旧家は史跡・名勝・天然記念物の地図記号で表示されていました。
伊能忠敬像全体.PNG
伊能忠敬旧家②.PNG
佐原地域地図銅像と旧家.PNG
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答538 五色台は香川県高松市と坂出市の境にまたがってあります。香川県のホームページには、”高松市、坂出市にまたがる標高400mから500mの溶岩台地。四国霊場の札所である根香寺や白峯寺のほか、恵まれた自然環境を生かして野外活動施設が点在”と書かれ、香川県の観光名所で12位に上がっていました。香川県のホームページから
五色台全景.PNG
五色台画像.jpg
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答537 ”科学で挑む”の地図測量に関係するものは、「航空レーザー測量」により作成された「赤色立体地図」で、複雑な地形が詳細に表現されるようになったとのことです。どのような山城を発見し、小早川秀秋の裏切りの真相とはどのような内容だったかは、西軍の陣の中心にある玉城跡を赤色立体地図でみると、山頂付近は200m以上の巨大な平坦部のほか、様々な防御地形が作られていることから、秀吉の息子の秀頼を迎えるための山城が作られていたことがわかり、小早川秀秋の陣取っていた松尾山城では、通説では裏切り直前まで迷っていたとのことでしたが、城の前面には平坦部が広く作られており、兵士が布陣できるようになっていることから、裏切りは布陣の時点で決められていたことがわかる、とのことでした。
航空レーザー測量原理.PNG
西軍の鉄壁の守り.PNG
複雑な地形が手に取るようにわかる.PNG
秀頼が入る城.PNG
戦国時代を赤色立体地図で.PNG
小早川の裏切りの兆候.PNG
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答536 江戸川区水害ハザードマップの表紙に書かれていた”ここにいてはダメです”でした。江戸川区は周りの区も同様にほぼ全域で浸水の恐れがあり、区民全員の避難場所を区内で確保することは困難なので、浸水の恐れのない東京西部、神奈川、埼玉、千葉のほか茨城の浸水の外へと書かれていました。浸水深も深く、命も危ういので、子供達にもわかりやすく書かれているとのことです。
江戸川区ハザードマップ詳細.PNG
江戸川区ハザードマップ拡大.PNG
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答535 ”地図の確認はアウトドアの基本です。”で始まり、国土地理院のホームページにある「自然災害伝承碑」でした。災害を伝える石碑などが写真入りで記載されています。新聞をクリッが開きます国土地理院の自然災害伝承碑」のページが開きます。
親子で学ぶアウトドア防災記事全体加筆小.png
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答534 絵地図でした。文士村記念館の後、高田純次はその絵地図創造研究所を訪ね、個人の家でしたが、中を見学させてもらっていました。「築地界隈さんぽMAP」など各所の絵地図が展示されていましたが、作成者は一人のようでした。
築地界隈さんぽmap.PNG
絵地図創造研究所内部.PNG
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答533 木佐貫さんは、巨人に入団した2003年から、地図の上に、徒歩や交通機関を使って通った道路や線路に赤い線を引いており、ナイターの時は、午前中に通ったことのない道を探しながら1時間、約10㎞散策して地図に落としこみんでいたとのことです。スカウトに転身するとどんどん広がり、担当の東海地区では、名古屋を中心に赤く染まっていき、その赤い線の先には、プロ野球の原石たちが待っている、とのことです。
赤ペンの先木佐貫洋.PNG
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答532 『揺れる「海走る鉄道」遺構』とのタイトルで、現在の東京都港区高輪付近行われている再開発工事で、当時海岸を埋めて、鉄道を通したことがわかる遺構(高輪築堤)が、品川駅から高輪ゲートウェー駅までの約1.3kmに亘って見つかったことが掲載されていました。
毎日新聞高輪遺構.PNG
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答531 日食でした。小説ですが、日食について、模式図も含めた細かい説明もありました。伊能忠敬も各地で、日食や月食の観測をしていました。なお3月25日で24回目ですが、ローソップ島編はまだ続いています。
また会う日までローソップ島1.PNG
日食と月食.PNG
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答530 読み方は①いものくぼ、②かんのう、③はさま、④みもみ、⑤おぶかい、⑥ごうど、⑦なかびょうまち、⑧まっさき、⑨いかづちちょう、⑩やさしどちょう、⑪おゆみちょう、⑫のぶと、⑬いのはな、⑭さくさべ、⑮そんのうちょう、⑯おおやる、⑰しもく、⑱ひじかい、⑲もちくさ、⑳ろっぽうがおか、㉑なばさま、㉒ついへいじ、㉓あまありき、㉔あらおい、㉕わんめ、㉖いたぶ、㉗いりやまず、㉘にっつま、㉙まじょうり、㉚とっこう、㉛とぶ、㉜しすい、㉝しか、㉞とうかぎ、㉟こうのだい、㊱ぼっけまち、㊲ねこざね、㊳きおろし、㊴ほっさく、㊵そうふけ、㊶しょうげん、㊷あじきぼっくい、㊸ししば、㊹いちぶ、㊺ひびり、㊻さかさい、㊼とよふた、㊽みこぜ、㊾ごこう、㊿なづかり、で、場所は、①②は八千代市、③船橋市、④習志野市、⑤⑥⑦⑧佐倉市、⑨千葉市若葉区、⑩千葉市緑区、⑪⑫⑬千葉市中央区、⑭⑮千葉市稲毛区、⑯⑰⑱⑲八街市、⑳㉑四街道市、㉒㉓㉔㉕㉖㉗市原市、㉘㉙㉚㉛成田市、㉜㉝印旛郡、㉞㉟㊱市川市、㊲浦安市、㊳㊴㊵㊶㊷印西市、㊸白井市、㊹㊺我孫子市、㊻㊼柏市、㊽㊾松戸市、㊿流山市、でした。30年近く千葉県に住んでいますが、読み方と場所がわかったのは、9個しかありませんでした。関連問題が番外編問546にあります。
529
 
 
 
 
 
 
 
 
答529 「けいさつしょ」と6人正解を書いていました。ただ5番目の回答者であるお笑い芸人EXITのりんたろうは、最後まで書けなかったのでその理由を聞かれた時、何らかの「しょ」であると思い、「し」を書いたと言っていました。
警察署回答.PNG
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答528 北海道遠軽町のJR石北本線丸瀬布駅から車で15分ほど山の中に入ったところにある「遠軽町丸瀬布森林公園いこいの森」の中に設置されているかつては森林鉄道として運行されていたSLに乗っていました。名称は、森林鉄道蒸気機関車雨宮21号と表示されていました。遠軽町のホームページでも春から秋にかけて毎日運行されていることが載っています。
いこいの森飲み鉄画像2.PNG
いこいの森飲み鉄画像1.PNG
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答527 長野県川上村と山梨県山梨市との境にある「大弛(おおだるみ)峠」で、標高は2,365mでした。田中氏(画像の後ろ姿)は、峠の西にある百名山の金峰山から、道路を横切り東にある同じく百名山の甲武信ヶ岳に行く途中です。映像では、峠に多くの車が駐車していました。なお現在(2021年2月)は、「グレートトラバース3」として、同じ田中氏による「300名山」の人力移動による登山の旅をNHKBSプレミアムで放映しており、今後しばらく続きます。
大弛峠画像.PNG
大弛峠地図.PNG
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答526 「伊能忠敬  地図作りはここから」とのタイトルで、伊能忠敬が50歳で江戸に出てきたとき、この門前仲町に居を構え、地図つくりの10回の旅のうち、8回の出発の前、門人と一緒に富岡八幡宮に参拝したことなどが記載されていました。また富岡八幡宮には、伊能図(複製品)があり、今年(2021年)は伊能図の幕府献上から200年にあたることも書かれていました。朝日新聞デジタルから
朝日新聞門前仲町2月22日.PNG
門前仲町地図.PNG
伊能忠敬像富岡八幡宮.PNG
525
 
 
 
 
 
答525 毛無山は、北海道の小樽市にあります。自転車旅は、毛無山から、小樽駅前を通って、その近くの15%の傾斜の船見坂を休みながらでしたが自転車で登っていました。NHKのホームページから 関連問題が番外編Ⅻ問191にあります。
毛無山小樽地図.PNG
船見坂.jpg
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