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 地図編 Ⅱ 答21~答34

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答34 「測量山桜ロード」です。この愛称は、市内の南部の半島にある測量山を桜の名勝とすべく、平成13年実行委員会を設立し、第1回桜の記念植樹を実施する際に一般市民から愛称を募集し「測量山桜ロード」となったとのことです。現在桜は数種類あり、300本を越えています。私が5月の連休明けに行ったときは、ピンクの八重桜のみ咲いていました。

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答33 千葉県成田市です。市の中心街から北東の大栄インターチェンジの近くにあります。伊能忠敬には直接は関係がなさそうです。字の伊能を赤枠で囲みました。なお私の持っている昭文社の「まっぷる」にも載っていました。  地理院地図に加筆

 

 

 

 

 

 

 

答32 「地震動の痕跡」は静岡県伊豆の国市に、「地震が岩」は熊本県南阿蘇村にあります。「地震動の擦痕」は、昭和5年旧・田方郡江間尋常小学校の校庭に忠魂碑が建立された際、長さ約5mの魚雷が忠魂碑の付属物として展示されたが、同年の11月に発生した北伊豆地震により、魚雷を載せいた台座の突起物により魚雷腹部に曲線状の傷がついたので、天然の地震グラフ曲線ができまた。「地震が岩」は、1,147mの独立標高点付近注記になっており、展望所となっているようです。の観光パンフレットの地図に地震が岩の場所はていますが説明はありませんでした。  地理院地図から

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答31 八重干瀬(やびじ)です。2万5千分の1地形図では「八重干瀬」の図に、5万の1地形図では「宮古島北部」と「フデ岩」の図に記載されていますが、ヤフーやグーグルの地図には記載されていません。八重干瀬は、沖縄県宮古島の北方にある池島の北約5~22kmに位置し、南北17km、東西約6.5kmにわたって広がる広大なサンゴ礁群です。普段は海面下にありますが、大潮の干潮時のみ海面上にみえる地域です。2013年3月には、”宮古島に固有の生活文化との繋がりの下に親しまれてきた秀な海浜の風致景観”であり”我が国最大の卓状のサンゴ礁群としても重要”として、国の名勝及び天然記念物に指定されました。なお地元自治体では「やびじ」を正式な呼称としていますが、「やえびし」とも呼ばれています。広いので下記の地形図は一部です。

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答30 ②の早川町はありません。シャープの亀山第一工場は亀山市白木町にあります。なお創業者の早川徳治の故郷栃木県矢板市にシャープの矢板工場がありますが、そこは早川町です。

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答29 スズキ町は実際にはありません。自動車工場は面積も一つの街の広さがあることのほか、財政的貢献も大きいことからから、会社関係の名前をつけることとなったものと思われます。その他では、愛知県刈谷市に豊田町がありますが、これはトヨタの前身の豊田織機からきています。なお(株)スズキは、以前は周りをすべて浜松市に囲まれた可美村に本社がありました。そのため財政基盤がしっかりしていた可美村は、浜松市との合併を1991年まで行いませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答28 北方4島(歯舞、色丹、国後、択捉)についての詳細な地図は、国土地理院が戦前作成した5万分の1地形図をもとに、衛星画像を使って修正し、平成4年全域出されるようになりました。その後平成22年からは、2万5千分の1地形図も、順次出されるようになり、平成26年7月ですべて発行されました。2万5千分の1地図には、“この図は、地球観測衛星の画像上で判読できた道路、建物等を表示したものであり、北方領土問題に関する我が国の立場にいかなる影響も与えるものではない”とのコメントが挿入されています。なお5万分の1の縮尺より小さい地図についてももちろん作られています。

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答27 郵便局の記号です。もちろん郵便局は登山客用で夏季しか設置されていません。地図記号の永続性との原則からは意外ですが、”夏季だけだが永続的に設置される”と考えてみれば当然です。 富士山本宮浅間神社奥宮の社務所内に設置されており、2015年の営業は7月18日~8月24日の6時~14時までです。貯金や保険は扱っていないが、登山証明書の発行など独自のサービスを行っています。2015年7月6日の朝日新聞朝刊の「しつもん!ドラえもん」の欄にも、最も高いところの郵便局はどこか、として載っていました。 地理院地図に加筆

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答26 ”地盤と関係なく、イメージが良い地名が造成地につけられたのではないか”、と推測されています。日本地図学会地名専門部会の主査を務める地図研究家の今尾恵介さんも、”文字の解釈ばかりでなく、個々に地名のルーツを調べないと判断できない”としています。

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答25 ”良好な地盤”の方は、「島」です。「島」は水辺に分類されていますので、「岸」や「淵」と同類で”軟弱な地盤”です。”軟弱な地盤”の方は、「坂」です。「坂」は傾斜地に分類され、「阪」と同類で”良好な地盤”とされています。なお「坂下」は軟弱な地盤の地名に入っています。「梅」は「埋め」からの当て字の場合がある、とのことで、そのほかに当て字としては、「矢(谷)」、「久保(窪)」、「須(洲、州)」、「露(漬ゆ)」の字が掲載されていました。なおこの朝日新聞の記事の中にも、”地名はウソを言うことも念頭に置く必要がある”とも述べられており、ほんとかな?と思うところもありますので、これはあくまで新聞記事の紹介と考えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答24 位置の精度4m、高度の精度80mでしたが、最高峰は10.75㎞、最深部は-9.06㎞と測定され、その差は19.81㎞となっていました。なお月の形は、扁平率1/775.5と地球の1/298.26に比べて小さく、円に近くなっており、極半径も1735.66kmと地球の1/3弱の大きさとなっています。

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答23 原本は1821年に江戸幕府に献上された後、明治政府に移されましたが、明治6年に皇居の火災により焼失してしまいました。その後控図(副本)が伊能家から明治政府に献納され、東京帝国大学に移されましたが、1923年の関東大震災で焼失してしまいました。今残っているものはすべて複製品ですので、図面により少しずつ表示が違っていますが、小図214枚、中図8枚、大図3枚すべての面の複製品が見つかっています。

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答22 我が国近代地図作成史上最高の傑作にあげる人も多く、その特徴としては、① 水彩絵の具で彩色されており、見た目もきれいな地図である ② 迅速な作成を行うため、正式な三角点の成果に基づかない作成を行っており、経緯度の表示がない③ この地図の上端などに付近の風景を描いた絵図がみられる図もある、なおこれは「視図」とよばれ、絵として詳細に書かれており、当時の様子が分かる貴重なものなのですが、軍隊の地図らしく、渡河点など陸軍の行軍上重要な地点が描かれているそうです、などがあげられます。この地図の復刻版は、一般財団法人日本地図センターで販売されています

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答21   洪水時に浮遊しているごみ等の流れの速さの差を利用しており、、流れの速いところはより左右の写真の位置の間が大きいこととなり、実体視するとより浮き上がって見えます。全体としては複雑な地形が形成がされた状況に見えることとになります。この現象をカメロン効果といいます。

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