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地図編Ⅴ 答59~答70

アンカー 70

答70 地名の上の朱の丸は宿泊した地名を表し、星印は天文観測を行ったところを示しています。天文観測は夜に行うので、ここでも宿泊したのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答69 表門を頭にして書かれているからです。大名屋敷は広いので、切絵図を見た人が、表門の位置をすぐ把握できるようしています。この問題は、2014年9月11日夜7時からテレビ朝日系列で放映された「THE 博学」で出されたのですが、安藤優一郎氏の書かれた「古地図 読み方・楽しみ方」に書かれていることだそうです。2016年11月14日放送の「ぶっちゃけ寺&Qさま!!豪華2本立て3時間SP」”江戸・東京に一番詳しいのは誰だ!?”でもこの問題が出されていました。

アンカー 69
アンカー 68

 

 

 

 

 

答68 北海道大学と東北大学です。「雷神2」は一辺約50cmの箱型で重さ43kgの超小型衛星で、630km上空の軌道に打ち上げられています。目標としていた5mの解像度を達成したとしており、これにより観測コストが大幅に下げられるとのことです。

  下の画像で新潟県南魚沼市周辺の「農道」が判読できるとしています。下から右上へは高速道路の上越道ですので、市町村道レベルははっきりと、水田の中の農道も どうにか判読できます。この画像から場所を特定しましたので、是非画像をクリックして確認してください。    東北大学の記者発表資料から

 

 

 

 

答67 蝦夷地の部分は間宮林蔵の測量データを使ってすべて作られた、という説です。新聞のタイトルは、”蝦夷・伊能図「すべて間宮林蔵の測量」”です。その根拠として、①伊能が測量した海岸線と伊能図の最終版との海岸線がほとんど合致せず、ずれは最大数kmあったこと、②間宮は伊能から測量方法を学んでいたこと、③間宮は蝦夷地全域の測量を成し遂げていたことが挙げられています。その他間宮が江戸幕府の役人であったことから進んで測量成果を提供したことも考えられると思います。

 朝日新聞のホームページから  赤は伊能が測量した海岸線、青 は伊能図最終版の海岸線、新聞には書いてないが襟裳岬付近。元国土地理院長の星埜由尚氏の2010年に出された伊能忠敬の本によっても、襟裳岬先端は伊能 忠敬は行っていないので、間宮の測量図を使ったと書かれていました。

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答66 クライシスマッピング(危機の場合の地図化?)です。まさにG空間情報の活用の時代であることを実感しました。地図の重要性がますます高まってきていることをうれしく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答65 東京都小笠原村の西之島新島です。西之島新島はいまなお噴火が続き、島が広がっており、定期的な調査が必要なところです。“小笠原村父島から無人航空機(UAV)を約130 km 離れた西之島に飛行させ、UAVとしては初て西之島周辺の空中写真を自動撮影することに成功しましたので、その撮影写真を公開します。”とのタイトルで発表していました。発表の中に、立体写真図もありました。

 7月4日に再度UAVによる撮影が行われ、写真の公開とまでの写真との解析結果等が、7月23日に発表されました。まだまだ拡大が続いていることなどがわかりました。   国土地理院のホームページから 地図編問188に関連質問があります。     

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答64 伊豆大島と富士山です。新聞のタイトルは、”大雨の爪痕はっきり 「だいち2号」観測”で、昨年10月起きた大島の土砂崩れわかるように、斜め写真のようなアングルの画像が大きく載っていまた。富士山の方は、その1/3程度ですが、垂直写真のような画像でした。「だいち2号」は、レーダ観測なので、昼夜を問わずまた雲があっても観測き、地上1~3mの物体を見分ける能力があるそうで、防災と環境に役立つことが期待されています。    JAXAのホームページから  伊豆大島の斜め写真

アンカー 64
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答63 著者は巻末に、”マラソンコースの策定に当たり、「カシミール3D」を参考にしました。”と書いています。実際に小説の中でも、パソコンを見ながら”「・・・戻るルートなんだ。これでだいたい四十二キロ」「ああ、よくできている」”とか、”「・・・X軸に地名が書いてあるので、コースに沿って地図を一直線に開いたものだとわかる。Y軸が高低差。・・・」”など距離と高低差の両方の解析にこの地図ソフトを使い、大変便利だったことが述べられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答62 地理院地図の住居表示の機能では、未確定の地点は、近くの帰属が決まっている場所が表示されることとなっているためで、剣ヶ峰付近は静岡県富士宮市の表示が出るとのことでした。なお東京湾の埋め立て地では、境界不明の地域は明確なので、その場合は「所属不明」との表示になるとのことです

 下図は平成26年6月1日の地理院地図(静岡県富士宮市山宮と表示)で、その直後、住所表示なくなりました。(地図をクリックすると現在の地理院地図で、住所が---で表示されます。)

アンカー 62

その後、2014年6月4日の朝日新聞朝刊には、山梨県知事が、3日の記者会見で、”山頂が静岡県と決まっていると誤解を与え、不適切”と載っており、また6日の朝日新聞朝刊には、「富士山頂住所表示を停止」との見出しで、4日より、地理院地図では、住所が消え、”正確な所属を表すとは限らない”との表示が加わることとなりました。(地図をクリックすると表示されます) 厳密に書けば追加表示が必要なのかもしれませんが、日本全国”正確な所属を表すとは限らない”の文字が入っていると思うと、何かしっくりいきません。

   6月30日の朝日新聞夕刊には、”山梨県のネット地図 富士山頂は静岡県”とのタイトルで、山梨県の「まっぷde山梨」では、富士山頂付近に県境線が引かれ、富士山頂等の住所検索でも静岡県富士宮市と表示されていました。朝日新聞の指摘で、住所検索は27日から表示されなくなったが、県境の修正は費用の面で難しいと、掲載されていました。この「まっぷde山梨」は、インターネットで見ることのできる地理情報システムで、4月から公開を始めたばかりのものでした。 7月8日の朝日新聞の朝刊には、”富士山頂は「静岡県」 24地図で”というタイトルで、山梨県が、「婚活やまなし」、「土砂災害警報情報」などの山梨県が管理する24のウェブサイトの電子地図で、山頂を静岡県と表示していることに対し、山梨県が、地図データを提供する国内2社に修正を依頼し、改善の見通しがついた、と7日に発表した事が載っていました。

2015年2月5日現在、山梨産業コミッションの地図には、依然として県境が描画されていましたが、2016年3月には無くなっていました。

アンカー 61

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答61 吉宗です。この地図は、文献などから8代将軍吉宗が命じて、享保年間(1716~36)に作らせたものとみられる精度が高いもので、『享保日本図』と呼ばれています。現物が確認されたのは初めてとのことで、江戸時代の測量法を知る貴重な資料であるとしています。縦152㎝、横336cm、縮尺は21万6千分の1で、北海道南部から種子島まで描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答60 お茶の木の実の中に、種が3個あることからだそうです。(一財)日本地図センターの雑誌の「地図中心」2014年5月号の特集地図記号500の中に出ていました。

アンカー 60

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答59 隣の校区は長屋や古い建物が多く道幅の狭いところで、アメリカ軍の空中写真では戦争で燃え残った場所、自分の校区は市営住宅の団地や新しい家や工場が並び、幅の広い道が規則正しく交差しているところだが、空中写真では燃えた場所であることがはっきりわかると書かれています。なお彼女は大阪府立大学総合科学部で人文地理学を専攻された方ですが、その大学でアメリカ軍撮影の空中写真を使った講義があったものと思われます。

アンカー 59
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