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番外編Ⅻ 答179~答193

アンカー 193
答193 当時、ロシアの南下政策で軍事上、機密扱いだった北海道の地図の「蝦夷(えぞ)図」の写しが3枚あり、「海防政策上、重要な蝦夷図を見ることができたのは、金陵が幕府の重要なポストにいた証拠」と分析しています。これらの資料は、企画展(柏市郷土資料展示室(柏市沼南庁舎2階))おいて2016年2月28日まで公開されていました。
 









 


 
 
 
 
 
 
 
答192 (株)グローバルプランニングの創業者で前代表取締役樋口米蔵氏でした。本人評価額は10万円でしたが、鑑定結果は、”本物なのだが、「紫浪」の署名の下に印がないので、未完成品という扱いになってしまう”ことから、3万円でした。放映の中では地図の掛け軸と地球儀に関しかなり熱心に話をされ、司会者が打ち切る場面もありました。開運なんでも鑑定団のホームページから
アンカー 192
 
 
 
 
 
 
 
 
答191 「毛無山」です。案内人「石狩湾と増毛(ましけ)連峰が見えています」、タモリ「あ~増毛 !」、桑子(アナウンサー)「ゾウモウだ !」、タモリ「行ってみたいよ」、案内人「小樽には毛無山って言うのがあります」タモリ「そこは行きたくない !」案内人「毛無山からは増毛連峰がよく見えますよ」、と会話が続きました。髪の毛の薄くなったタモリならではの会話でした。なお小樽の近くには毛無山は2カ所ありましたが、もう一方は山の中で、かなり歩いてしか行けないところなので、下の地図のところだと推定しました。地理院地図から一部加筆 関連問題が番外編ⅩⅩⅩⅣ問525にあります。
アンカー 191
 
 
 
 
 
 
 
答190 好物は奈良漬(画像の人物データのところに書かれています)、歩いた距離は4万㎞地球1周と言っていました。徳川家康のほか、杉田玄白などとともに伊能忠敬が紹介されていることで重要な人物として扱われています。また歌舞伎役者の中村獅童が楽しく紹介していることも良かったと思いました。歩いた距離は、日本の海岸線の長さは約3万㎞ですので、10回の測量の往復も入れるとこのくらいになると思います。なお伊能忠敬の好物は、総則編の問54でも問題として出していますが、答がちがいますので参考にしてください。NHKのホームページから
アンカー 190
アンカー 189
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答189 この問題は2015年11月8日の夜10時からTBS系列で放映された「林先生が驚く初耳学」で出た問題です。平安京が造られた時(794年)は、南北方向は北極星を基準としていましたので、真北に近い方向ですが、現在の二条城(1603年)は徳川家康が作ったそうで、その時は、外国からはいったん磁石で南北方向を測っており、当時は東編約3度であったことからこのようなずれが生じているとのことでした。なお林先生は知っていましたので、初耳学にはなりませんでした。その時林先生は、現在日本の北の方は7度、南の方は6度西にずれているとも言っていましたが、もう少し幅を持たせて言ってほしいと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答188 ここでは、3D映像と本物の動物たちとの共演を表す言葉として独自に生み出して、「4D」としています。5万匹のイワシの大群の他、オットセイやアザラシ、それにジンベイザメなどの多彩な芸でその効果を演出しています。八景島シーパラダイスのホームページから
2016年4月4日の夜9時からのNHKのニュースの最後に、この八景島のプロジェクションマッピングが紹介されていました。
アンカー 188
アンカー 187
 
 
 
 
 
 
 
 
答187 「1001グラム ハカリしれない愛のこと」です。人生は計り知れない愛にあふれている、としています。「ハカリ」を掛け言葉にしたところが大変うまいと思いました。朝日新聞デジタルから
アンカー 186
 
 
 
 
 
 
答186 「地名」です。「地図から消えた地名」、「幻想地名辞典」等10数点が展示されていました。このホームページのトップページの画像は「地図」の小展示ですが、同じところです。
アンカー 185
 
 
 
 
 
 
 
答185 25周年を記念して地球という球体を立方体に落とし込んだものです。色合わせではなく、柄合わせのため難易度がかなりアップしています。値段は通常より高く、2,592円です。
アンカー 184
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答184 当時の報奨金は300円でした。明治7年の米60kgが2円程度なので、現在お米は14,000円程度であることから、1円は現在約7,000円相当となり、300円は210万円程度と換算されます。大変安いと思いますが、一方的だったのだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答183 千葉県内4市町村のほか、全国175市町村の首長が署名していました。全国の首長の約1割に相当しており、3年後は没後200年の年であり、その時に実現すると良いのですが。ただ2001年公開された「伊能忠敬-子午線の夢-」の映画は私としてはイマイチだったので、脚本に期待しています。画像は伊能忠敬記念館の前の忠敬像、左後ろに象限儀。朝日新聞デジタルから
アンカー 183
アンカー 182
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答182 幕府の海軍の指揮官、函館戦争の時の蝦夷共和国の総裁、降伏後は外務大臣や農商務大臣などを歴任した榎本武揚です。箱田氏は地図の上程が終わった1821年、女子しかいなかった榎本家の株を50両で買って養子に入り、その後幕臣榎本武規と名乗るようになりました。1836年、榎本武揚は榎本武規(箱田良助)の二男として生まれました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答181 「一握の砂」などの詩集を出した石川啄木です。朝鮮が、日本と同じ色になっているので、墨で塗りつぶしている様子で、当時数少ない併合批判として有名だそうです。
アンカー 181
アンカー 180
 
 
 
 
 
 
 
 
答180 1925年ごろ、ガソリンスタンドで配布する地図を作った時、地図製作者二人が、複製されても偽物と分かるように、二人の名前の最初の文字を並べ替え、「Agloe」という架空の街を作ったとのことです。ここはニューヨークの北西約200kmのところですが、その数年後地図出版大手のランド・マグナリー社が作った地図に「アグロー」が記載されていたので、二人は提訴しました。しかし実際に「アグロ―・ロッジ」という民宿が存在していたので訴えを取り下げました。民宿の人は地図を見て「アグロー」を使ったとのことでした。2008年になって、作家のジョン・グリーン氏が、「アグロ―」を題材にした小説「ペーパータウンズ」を出版し、ベストセラーになり、今年7月同名の映画も公開されました。またこの夏地元の人が、「アグロ―へようこそ」という看板まで作って、無人のところの道路に掲げています。なお米地質調査所のサイトには、「アグロ―(非公式)」とあり、「『ペーパータウン』として地図に加えられた。現在は地図に載っていない」とあるそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
答179 1180年伊豆で挙兵した頼朝は、石橋山の戦いで敗れ房総に逃げますが、やがて平氏を破り幕府を鎌倉に開きました。その間に目にした太平洋に面した浜があまりに長いので、その測量を部下に命じました。その時六町を一里とし、一里ごとに目印の矢を立て、九十九本となったことから九十九里浜という名前が付けられたとのことです。一町は約109mなので、九十九里で約65kmとなり、現在の実測の約66㎞とほぼ近い値になっています。「思わず人に話したくなる千葉学」に出ていました。
アンカー 179
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